東京都新宿区のプロテスタントのキリスト教会

メッセージ・アーカイブ

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このページでは、これまでの礼拝説教を動画でご覧頂けます。
(早天礼拝は、日本基督教団「日毎の糧」に沿っています)

十字架、私を創り変えてくれる恵み 2020年9月18日 早天礼拝

ルカ14:25-35
説教者:坂本兵部牧師
ご自分について来る大勢の“群衆”に向かって、イエス様は 「私の弟子になるつもりなら、“自分の十字架”を負ってついて来る覚悟をしなさい」と言われました。この方についていくならきっと良いことがあるだろう、という漠然たる期待は、必ず挫折するからです。私が切に欲している何かが、願い通りに与えられない状況の中で、 「私は世に対して主と共に十字架につけられています」と真摯に告白する時こそ、そして、私に向かう主の御心が我が内になされることを喜ぶ時にこそ、私は“弟子”としての“塩気”を持てるのです。
 

謙る者こそ真の報いを受ける 2020年9月16日 早天礼拝

ルカ14:1-14
説教者:坂本兵部牧師

安息日にイエス様を食事に招いたファリサイ人たちは、神を信じて人々からも尊敬される人生を生きていましたが、目の前のメシアとは、祝福された関係を持つことはできません。それは彼らが、信仰生活の“報い”を、地上に求めるマインドで生きていたからです。私たちも、無意識のうちに期待し予想していた“報い”が地上で実現しない時に、感謝や喜びが消えることがどんなに多いでしょう。しかしそれは、私たちに“謙り”を教えて、真の報いを受けさせようとする主の配慮なのです。
 

狭き門から入れ 2020年9月15日 早天礼拝

ルカ13:22-35
説教者:坂本兵部牧師

「救われる者は少ないのでしょうか?」と、まるで他人事のように質問した人に対して、イエス様は「あなた自身が“狭き門”から入りなさい」と答えました。世で罪の力に翻弄される私たちに向かって、天の父が血の叫びのように差し出して下さった“最後通牒”=十字架のイエス・キリスト=の前に、謙遜にひれ伏すことをせず、不平を言いながら誰かを裁いては自己憐憫の中にいる時、私たちは、「雌鳥が雛を羽の下に抱くように」招いて下さっている神様の慈しみを拒み、実質的に“広い道”を歩んでしまっているのです。

 

既に突入して来ている神の国に敵対しない 2020年9月14日 早天礼拝

ルカ13:10-21
説教者:坂本兵部牧師
18年間病いで腰が伸びなかった女を、ある安息日にイエス様が癒されました。その時彼女には賛美が回復し、その場にいた群衆も、自分の問題は未解決でしたが、そこに臨んでいる神の国のしるしを見て、共に喜びました。しかし、自分の義を握っていた者たちは、その時 「腹を立てて」、群衆を鎮めようと躍起になりました。私たちもまた、思い通りにならない何かに苛立ってコントロールしようと焦る時、イエス様によって既に辛子種やイースト菌の如くに臨んでいる神の国に、敵対する側に立っているのです。
 

初めてキリスト者と呼ばれるようになった 2020年9月13日 主日礼拝

使徒11:19-30
説教者:坂本兵部牧師
「キリスト者(クリスチャン)」とは、初代教会が誕生してから13~14年ほど経って発生した言葉です。福音が北方のアンティオキアの異邦人たちにまで伝えられてから、世の人々が主の弟子たちを指して、侮蔑と困惑の気持ちを込めて、ギリシア語でそのように呼び始めたのです。しかし実際には、その地まで避難しながら主イエスを証した人々の霊的生命が、当時の世界第三の大都市に感化を始めていました。私たちも周囲から、「あいつはキリスト者だから」という悪口を聞くような歩みをする時こそ、天の祝福は実現するのです。
 

フィラデルフィア教会が纏う報い 2020年9月9日 賛美祈祷会

黙示録3:7-13
説教者:坂本兵部牧師
フィラデルフィア教会は、主イエスから称賛だけを受け取った稀な教会でした。弱小で苦難が多かったけれども、「イエス様の忍耐についての御言葉」を守ったために、誰も閉ざすことのできない「門を開いて頂く」という祝福が与えられたのです。それは、世のどんな富や名誉にも変えられない祝福であり、「私が愛して義としているのはあなただ」と、満天下に明らかにして頂く、輝かしい勝利なのです。
 

神の国を受け取るための姿勢 2020年9月9日 早天礼拝

ルカ12:35-40
説教者:坂本兵部牧師
主イエスは、ご自身の再臨についてこう言われました。「その時は、主人が帯を締めて、目覚めて備えていたしもべたちを宴席に着かせ、給仕してくれるのだ」と。つまり、神の国の完成とは、私たちを罪から贖って下さった御国の王自らが、私たちに仕えつつ、全ての祝福で満たして下さるという、卒倒するような出来事なのです。それが、痛みの多い私たちの人生に実現するというのは、クリスチャンにとっては既定路線です。その恵みを、どのような謙遜かつ正直な姿勢で受け取るかだけが、試練の中で問われている内容なのです。
 

父を賛美するか、セルフ・ケアに戻るか 2020年9月8日 早天礼拝

ルカ12:22-34
説教者:坂本兵部牧師
私たちは、何かを思い患いながら生きているなら、もはや、天の父の御国を満喫しつつ生きるように召して下さった方の御心から、外れてしまっています。イエス様を主と信じるなら、思い煩いに心を奪われそうになるその領域こそ、所詮自力の通じない領域であることを、喜んで認めることができます。その領域こそが、私たちを召して下さった方の真骨頂が現れる 「神の国」となるという、素晴らしい約束があるからです。
 

豊かにされた者として生きる 2020年9月7日 早天礼拝

ルカ12:13-21
説教者:坂本兵部牧師
イエス様に向かって「私の兄が遺産を私にも分けてくれるようにして下さい」と声をあげた男のことを、私たちは愚かだと思うかも知れません。しかし私たちも、心の中が “問題解決”で一杯になった状態で祈っている時、この男と変わりはないのです。霊的生命を豊かに味わい楽しみ、その喜びを世に証しすることを、主イエスは私たちの人生の目的としてセットして下さいました。つまり、状況の如何に拘らず、主イエスへの信仰によって“自足”できる人生を歩むよう、私たちに願っておられるのです。
 

出会いには主の願いがある 2020年9月6日 主日礼拝

使徒10:1-48
説教者:坂本兵部牧師
コルネリウスという異邦人は、ローマの幹部軍人としてカイサリヤに駐屯していたエリートでしたが、真の神様に対する強い渇望を持ってユダヤ人の信仰生活を助けており、しかも家族や友人たちや部下たちにも絶大な信望を得ていました。神様はそんな彼を、ペテロとの出会いへと導き、その出会いはペテロの内面をも新たにしつつ、異邦人世界に福音が本格的に広がる突破口になります。私たちの人生に天国の祝福を注ごうとする神様の熱心は、精密な出会いを通して実現し、私たちはその恵みの中で、言葉に尽くせぬ主の素晴らしさを知るように導かれているのです。
 
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