東京都新宿区のプロテスタントのキリスト教会

メッセージ・アーカイブ

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このページでは、これまでの礼拝説教を動画でご覧頂けます。
(早天礼拝は、日本基督教団「日毎の糧」に沿っています)

終末の時には 「存在目的」が問われる 2020年6月26日 早天礼拝

マルコ13:1-13
説教者:坂本兵部牧師
神殿の崩壊を預言なさったイエス様に対して、弟子たちは「それはいつですか?しるしは何ですか?」と、不安気に問います。終末に関して、私たちはそのような関心の持ち方をする傾向があります。けれども主はその問いに直接答えることはなさらず、 「惑わされるな。騒ぎ自体は終末ではなく、“産みの苦しみの始まり”である。苦難を通過する時こそ、君たち自身に向かって私が持っている“目的”があることを、覚えなさい」と語られます。
 

メシヤの国は 「貧しき者」の国である 2020年6月25日 早天礼拝

マルコ12:35-44
説教者:坂本兵部牧師
ダビデが祈りの中で 「贖い主(メシヤ)」の存在を啓示されたのは、彼の人生の順境の時ではなく、心砕かれる辛い逆境の只中でした。成功して多くの人々からの良い評価を得ようとする信仰生活では、メシヤを見ることはできません。寧ろ、全てを失って断崖絶壁に立つ貧しい心情で、密かに“レプタ銅貨二つ”を捧げた寡婦こそが、ご自分の御国の祝福を纏うのだと、イエス様は語られました。
 

主が下さった「目的 」に思いを定める 2020年6月24日 早天礼拝

マルコ12:28-34
説教者:坂本兵部牧師
「全ての掟の中でどれが第一ですか?」という、突然の問いに対して、イエス様は、ご自分が贖う全ての民が献身する“存在目的”を、明確に語られました。創造主を全身全霊で愛することと、隣人を自分の如くに愛することは、コインの両面の如き関係であり、別物ではありません。罪に打ちのめされていた私たちは、その“存在目的”に献身する力を喪失していましたが、イエス様は、それを私たちの内に回復させるために、自ら“思いを定めて”、ご自分の全てを注いで下さったのです。
 

私たちは神様をいつも誤解している 2020年6月23日 早天礼拝

マルコ12:18-27
説教者:坂本兵部牧師
「復活などあるわけないでしょう」と、日頃の理論武装をもってイエス様に正面から挑戦したサドカイ人たちを、イエス様は 「聖書も神の力も知らないから甚だしい思い違いをしている」と、一蹴なさいました。しかし私たちも、復活の栄光を過小評価して生きている傾向があります。生活の中で感謝や喜びを奪われている時、とりわけ、それを環境や忙しさや誰かの愚かさのせいにしている時、実は 「聖書も神の力も知らないから甚だしい思い違いをしている」点において、私たちは当時のサドカイ人たちと同じなのです。
 

気に入らない現実の只中に、神の国を迎える 2020年6月22日 早天礼拝

マルコ12:13-17
説教者:坂本兵部牧師
「皇帝に税金を納めるのは律法に適っていますか?」という問いは、イエス様からYesとNoのどちらの答えを引き出しても窮地に追い込めるという魂胆で、世の勢力が突きつけたものでした。しかし、それに対してイエス様は全く平安を失うことなく、「神の国はローマ帝国の支配によって妨げられるものではない」というメッセージを発して、敵を驚嘆させます。私たちも、主イエスのこの平安に繋げられる時、諸々の“気に入らない現実”の真只中に、“神の国”をお迎えして、世に勝つことができます。
 

「目的」に忠実に生きる 2020年6月21日 主日礼拝

使徒4:21-31
説教者:坂本兵部牧師
聖霊降臨直後の蜜月時代は終わり、世が反キリストの本性を露骨にして激しい迫害を開始した時、初代教会の信徒たちは「この試練を過ぎ去らせて下さい」とは祈りませんでした。むしろ、聖霊が彼らに与えて下さった「目的」(心ひとつにして主イエスの復活の証人として生きること)に、一層忠実に生きることを、彼らは熱く祈り求めました。私たちの問題は、主に与えられた「目的」への意識が、彼らのように分明でなく、心の「渇望」がまるで「目的」であるかのように思っていること、そしてそれを「目的」のように追求しては挫折を繰り返していることです。私たちはどんな試練に置かれても、その両者を混線させることなく、聖霊によって力と満足を頂きつつ、主から受けた「目的」に献身することができます。そのような歩みは、世の何ものも妨げることができません。
 

世からは捨てられる石こそが 2020年6月20日 早天礼拝

マルコ12:1-12
説教者:坂本兵部牧師
三日後には十字架につけられる重圧の中で、イエス様は 「葡萄園の農夫たち」の譬え話をなさいました。 それは律法学者たちを徒らに憤激させるためではなく、「家を建てる者の捨てた石こそが隅の親石になる」という奥義を、その場にいる弟子たちの心に、ひいては、多くの弱さを抱えて主を仰ぐ後世の聖徒たちの人生に、届けるためだったのです。
 

神の子として、自分の権威を信じる 2020年6月19日 早天礼拝

マルコ11:27-33
説教者:坂本兵部牧師
「何の権威でこんなことをしているのか」と、世の宗教家たちから脅かしを受けたイエス様は、ご自分の権威を敢えて口頭で主張なさらずとも、実際にご自分が天の父の権威のもとに服しておられたので、悠々と勝利できました。私たちも聖霊に導かれて天の父の御心を行おうとする時に、似た脅かしを世から受けることでしょう。その時は、父の権威のもとで安んじて謙ることこそが、勝利する道なのです。
 

神様の信仰で祈る 2020年6月18日 早天礼拝

マルコ11:20-26
説教者:坂本兵部牧師
葉ばかり繁って実を結ばない無花果の木の枯死は、虚しい宗教生活を抜け出して 「新しい被造物 」として生きよという、私たちへの招きのメッセージです。私たちが問題の山にぶつかっているということは、その痛みの只中で 「神様の信仰」を抱くように、私たちを創り変えて下さっているということなのです。
 

神様の臨在を妨げるものども 2020年6月17日 早天礼拝

マルコ11:12-19
説教者:坂本兵部牧師
当時の宗教システムや文化にとっぷり浸かって、過越祭本来の感動を失ったまま神殿に集まっていたイスラエルの民の姿は、イエス様の名で祈りながらも聖霊の豊かな臨在を失ったまま無力な信仰生活をする私たちと似ています。思い通りにならない何かに対する“もどかしさ”や“怒り”が、心の中で神様の臨在を凌駕している時、私たちは、世の何物かに、十字架のイエス様以上の価値を付与してしまっているのです。
 
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