年別アーカイブ:2020年
義に渇く者は主の約束を先取りして感謝せよ
2020年12月31日
早天礼拝
イザヤ51:1-11
説教者:坂本兵部牧師

危機を目前にして、現実に圧倒されて慄く民に向かい、 「あなたたちは自分がそもそも、アブラハムの約束を纏った“恵みの子”であることを思い出しなさい」と語られます。自分の義を降ろして、主に謙遜にひれ伏して歩む者たちは、世では嘲りや罵りを必ず受けますが、 「海の底に道を開く」ような神様の御手は必ず働いて、荒野がエデンに変わるのを目撃し、共に贖われた者たちと共にそこに帰還できる。その約束を、辛い現実の只中で感謝しつつ歩むように、私たちは召され、導かれているのです。
荒野を通ることは祝福だ
2020年12月31日
水曜賛美祈祷会
申命記8:1-6
説教者:坂本兵部牧師

不法が蔓延して多くの人々の愛が冷え、被造物も滅亡への隷属状態にある中、神様は、ご自分の子たちを「荒野」で試し、訓練し、鍛えておられます。 「荒野」とは、恵みを味わった者たちが、その内面を徹底的に、神の子に相応しく創り変えられる過程なのです。 「荒野」の現実の厳しさではなく、 「荒野」を敢えて通させる神様の御心に目を留めて歩み、御言葉によって満たされる術を習い覚える時、神の子に相応しい祝福を纏うのです。
主の十字架にひれ伏して生きるように召された
2020年12月30日
早天礼拝
イザヤ53:7-12
説教者:坂本兵部牧師

私たちは、自分の“背き”のゆえにメシヤが苦しんだということを分からぬままに、自分の考えで生きる瞬間が多いですが、その結果、多くの痛みを抱えてしまっています。しかしそんな私たちが、まだ滅びずに、イエスの名前で祈っているということは、私たちが 「彼の苦しみの実り」である、ということです。私たちの中に残っている痛みとは、メシヤの贖いなしで生きられないことを教えてくれる“召し”です。神様の望まれることがメシヤの生と死を通して成し遂げられたように、私たちの残りの人生を通しても、イエス・キリストは、ご自分の十字架の恵みを世に流したいと望まれるのです。
彼が刺し貫かれた理由を知る
2020年12月29日
早天礼拝
イザヤ52:13-53:6
説教者:坂本兵部牧師

私たちが熱望するメシヤは、「あまりに損なわれた、皆を驚かせる姿で来られる」と、イザヤは預言しました。 私たちは自分の悩みの解決を願って祈る傾向が強いですが、神様は、その根にある呪い(“背き”の結果)をご覧になり、それを癒すために、私たちの考えを遙かに超える仕方で御業をなさいます。人となられて十字架で死なれた主の苦しみは、自分の背きのゆえでしたという、深い告白こそが、私たちの回復の土台になるのです。
主の弟子として生き、死ぬ
2020年12月28日
早天礼拝
イザヤ50:4-11
説教者:坂本兵部牧師

来たるべきメシヤは私たちに「弟子としての舌」を与える、とイザヤは語ります。不当な苦しみを受けても人間的に対抗せず、自分を義として下さる唯一の方に望みを置いて、暗闇の時代も信仰の松明を掲げて生きる「弟子」——その受ける相続分は、 「苦しみのある所に横たわること」だとも言われます。私たちは、自分が願う“サクセスストーリー”の成就のためではなく、そのように 「弟子」として生き、死ぬために召されました。主に似た“柔和な心”を作って頂く過程を、後進たちに証しするところに、私たちの人生の価値があるのです。
世は神の子たちの登場を待ち望んでいる
2020年12月27日
主日礼拝
使徒19:11-20
説教者:坂本兵部牧師

当時のアジア州を代表する大都市エペソは、今の日本のように、人々がスピリチュアルなことに関心を持っている町でした。そんな中で、パウロと共にツラノ講堂で聖書を学んでいた“リアル・クリスチャン”たちの群れを通して、都市全体に物凄い“霊的地殻変動”が起こりました。偽宗教家の化けの皮が剥がされ、人々の心に神様に対する畏れが生まれたのは、パウロたちの努力というより、彼らが御言葉の恵みに留まったがゆえの、自然な結果でした。町の人々が自発的に、神様に喜ばれない罪を捨てて、鮮烈なリバイバルの御業が起きたのも、弟子たちが聖霊に導かれていたことの自然な帰結でした。
見よ、主が支える主のしもべを
2020年12月27日
早天礼拝
イザヤ42:1-9
説教者:坂本兵部牧師

バビロン捕囚の脅威が迫りつつある暗黒時代に、 「主が支える主のしもべを見よ」と、イザヤは語りました。世の政治指導者とは異なり「傷んだ葦を折らず、燻んだ灯心を消さない」という流儀で、正義なき地上に正義を実現なさるメシヤとは、飼葉桶に生まれたイエス様です。誤解されても不当に扱われても、黙々とその道を全うしておられるメシヤに、弱い私たちが肖る時、世もこの方を見て、この方の義に与るのです。
傷と恥の多い我が人生に
2020年12月25日
早天礼拝
ヨハネ1:1-14
説教者:坂本兵部牧師

言(ロゴス)とは、世界を貫く理性の根源ですが、それは即ち創造主なる神である。そこまでは、ギリシア人にもユダヤ人にも共感できる内容でした。しかし、その言(ロゴス)が肉(サルクス=弱い人間性)となられた、というメッセージは、世界に衝撃と困惑をもたらしました。世が容易には受け容れないその報せを、あなたが信じるなら、あなたの人生の最も深い傷と恥に恵みと栄光が臨み、神の子として堂々と歩む“権勢”が纏わされる、とヨハネは語ります。
メシヤは 「とりなす者たち」を求めておられる
2020年12月24日
早天礼拝
イザヤ59:15b-21
説教者:坂本兵部牧師

罪によって汚染され、混乱を極めている世に、 主が「贖う者として来られる 」。この素晴らしいクリスマスの恵みを受けている私たちをご覧になって 、神様は「とりなす者がいないのに驚かれる(怪訝に思われる)」と言われます。“とりなし”とは、聖なる神様と罪深い民の間に入って、両者の関係を繋ぎ止めて破綻から守り、かつ、弱き民を代表して、神様からの約束を敢えて主張することです。私たちが、自分の問題をひたすら祈るところから、そのような“とりなし”へと進み出ることを、クリスマスの主は待っておられるのです。
聖誕の喜びが溢れるための悔い改め
2020年12月23日
早天礼拝
イザヤ59:1-15a
説教者:坂本兵部牧師

御子イエス様は、私たちの只中に来られた目的を 「あなた方が生命を持つため、それも豊かに持つため」(ヨハネ10:10)と言われました。私たちがクリスマスを祝いながら、実生活の中でそのような霊的祝福を満喫できていない理由は、 「主の手が短いからではなく」(1節)、私たちの中に罪深い状態=習慣的な“責任転嫁”=が、こびりついているからだ、と言われます。聖霊の助けによって、そのような罪=的外れ=を、具体的に告白する時こそ、聖誕の喜びも、具体的に臨みます。