2021年1月7日 「しかし、主よ」と祈る信仰
イザヤ64:5-11 「しかし、主ヤハウェよ」と預言者イザヤが祈る時、彼の肉眼は、世の罪の力に押し流されて、手のつけようもないほど混乱している現実を見ています。具体的には、これからバビロン捕囚の苦しみを70年も舐めなければならないユダの民の悲惨を直視しています。その上で、「しかし我らは、陶器師なる主の御手の中にあって、諦められていない粘土です」と告白しつつ、主が成しておられる御業を、信頼して祈っているのです。私たちもこの時代に、それぞれが置かれた現場で、そのような信仰の祈りを継承する時、救いと回復の恵みに与れます。
「しかし、主ヤハウェよ」と預言者イザヤが祈る時、彼の肉眼は、世の罪の力に押し流されて、手のつけようもないほど混乱している現実を見ています。具体的には、これからバビロン捕囚の苦しみを70年も舐めなければならないユダの民の悲惨を直視しています。その上で、「しかし我らは、陶器師なる主の御手の中にあって、諦められていない粘土です」と告白しつつ、主が成しておられる御業を、信頼して祈っているのです。私たちもこの時代に、それぞれが置かれた現場で、そのような信仰の祈りを継承する時、救いと回復の恵みに与れます。



