2020年12月30日 主の十字架にひれ伏して生きるように召された
イザヤ53:7-12 私たちは、自分の“背き”のゆえにメシヤが苦しんだということを分からぬままに、自分の考えで生きる瞬間が多いですが、その結果、多くの痛みを抱えてしまっています。しかしそんな私たちが、まだ滅びずに、イエスの名前で祈っているということは、私たちが 「彼の苦しみの実り」である、ということです。私たちの中に残っている痛みとは、メシヤの贖いなしで生きられないことを教えてくれる“召し”です。神様の望まれることがメシヤの生と死を通して成し遂げられたように、私たちの残りの人生を通しても、イエス・キリストは、ご自分の十字架の恵みを世に流したいと望まれるのです。
私たちは、自分の“背き”のゆえにメシヤが苦しんだということを分からぬままに、自分の考えで生きる瞬間が多いですが、その結果、多くの痛みを抱えてしまっています。しかしそんな私たちが、まだ滅びずに、イエスの名前で祈っているということは、私たちが 「彼の苦しみの実り」である、ということです。私たちの中に残っている痛みとは、メシヤの贖いなしで生きられないことを教えてくれる“召し”です。神様の望まれることがメシヤの生と死を通して成し遂げられたように、私たちの残りの人生を通しても、イエス・キリストは、ご自分の十字架の恵みを世に流したいと望まれるのです。



