2021年1月10日 主の御言葉に戦慄する心
イザヤ66:1-2 イザヤの時代の民のように、私たちも 「〇〇を成就して幸福になり、平安を得たい」と願い、祈っていることが多いかも知れません。しかし神様は、そんな私たちに「何処が私の安息の場となるか」と問われます。貧しく砕かれた心で、“主の御言葉に慄く人々”の上にこそ、聖なる方は宿られます。昔も今も、その心が失われる時に、私たちは御国の祝福を奪われ、その心を保つ人々こそが、闇の力が荒れ狂う中、主の義を証しするのです。
イザヤの時代の民のように、私たちも 「〇〇を成就して幸福になり、平安を得たい」と願い、祈っていることが多いかも知れません。しかし神様は、そんな私たちに「何処が私の安息の場となるか」と問われます。貧しく砕かれた心で、“主の御言葉に慄く人々”の上にこそ、聖なる方は宿られます。昔も今も、その心が失われる時に、私たちは御国の祝福を奪われ、その心を保つ人々こそが、闇の力が荒れ狂う中、主の義を証しするのです。



