2020年7月8日 十字架の主に近づけられる人生
マルコ15:16-32 神様が神様の方法で、私たちのために救いの御業を成しておられるのが見えなくて、すぐに納得いく御業を見たがる傾向が、私たちにはあります。「十字架から降りてみろ。そうしたら信じてやる」とは、そんな罪深さから出た言葉でした。一方で、ゴルゴタに向かいながら力尽きて倒れてしまったイエス様を、偶々目前で見かけて、その十字架を暫く代わりに担ぐようにローマ兵から強制された 「キレネ人シモン」は、その数分間、恐れと当惑を覚えたことでしょうが、イエス様の激しい息遣いや血の臭いを味わいました。その特殊な経験は後日、彼を主の弟子にしたのです。私たちの生活の中に偶然のように起こる苦しい出来事の中に、実は、後者のような人生を生きるようにとの、幸いな召しがあります。
神様が神様の方法で、私たちのために救いの御業を成しておられるのが見えなくて、すぐに納得いく御業を見たがる傾向が、私たちにはあります。「十字架から降りてみろ。そうしたら信じてやる」とは、そんな罪深さから出た言葉でした。一方で、ゴルゴタに向かいながら力尽きて倒れてしまったイエス様を、偶々目前で見かけて、その十字架を暫く代わりに担ぐようにローマ兵から強制された 「キレネ人シモン」は、その数分間、恐れと当惑を覚えたことでしょうが、イエス様の激しい息遣いや血の臭いを味わいました。その特殊な経験は後日、彼を主の弟子にしたのです。私たちの生活の中に偶然のように起こる苦しい出来事の中に、実は、後者のような人生を生きるようにとの、幸いな召しがあります。



