2020年12月19日 “問題解決”のために祈るのではなく
イザヤ55:1-6 BC600年代前半、南ユダの民は、年々亡国の悲劇が近づいていると感じつつ、恐れや不安や無力感の中で祈っていたと思われます。そんな彼らに対して 「渇ける者、我に来たれ」と、主はイザヤを通して語られました。つまり、あなたたちは自分がどんなに偉大な恵みの約束の上に置かれているかを知りなさい。そうすれば、異邦人のように“問題解決”のために頑張って祈っては疲れる歩みではなく、神の国とその義に飢え渇いて、無償で満たされ続け、周囲の国々に祝福を流す存在になる、と言われるのです。
BC600年代前半、南ユダの民は、年々亡国の悲劇が近づいていると感じつつ、恐れや不安や無力感の中で祈っていたと思われます。そんな彼らに対して 「渇ける者、我に来たれ」と、主はイザヤを通して語られました。つまり、あなたたちは自分がどんなに偉大な恵みの約束の上に置かれているかを知りなさい。そうすれば、異邦人のように“問題解決”のために頑張って祈っては疲れる歩みではなく、神の国とその義に飢え渇いて、無償で満たされ続け、周囲の国々に祝福を流す存在になる、と言われるのです。



