2020年12月21日 神様は私の内に“謙遜”をご覧になりたい
イザヤ57:14-21 どこから手をつけて良いか分からぬほどの混乱や傷を抱えている私たちに、平安を回復させたい———そのような神様の御心の中に、深く入る鍵は“謙遜”です。私たちは世を歩む時、身近な人間関係で“もどかしさ”を常に経験しますが、それは自分自身が、“高ぶり”を持病の如くに抱えているためです。そんな私の救いのために、“謙遜”の限りを尽くされた神様を、信仰の目でしっかりと見る時にこそ、 「我らに罪を犯す者を我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ」と祈りつつ主に従うことができます。
どこから手をつけて良いか分からぬほどの混乱や傷を抱えている私たちに、平安を回復させたい———そのような神様の御心の中に、深く入る鍵は“謙遜”です。私たちは世を歩む時、身近な人間関係で“もどかしさ”を常に経験しますが、それは自分自身が、“高ぶり”を持病の如くに抱えているためです。そんな私の救いのために、“謙遜”の限りを尽くされた神様を、信仰の目でしっかりと見る時にこそ、 「我らに罪を犯す者を我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ」と祈りつつ主に従うことができます。



