2021年12月2日 私の家は祈りの家でなければならない
ルカ19:41-48 イエス様がエルサレム神殿をご覧になって 「泣いた」のも、境内で両替商の机を蹴散らしたのも、民が「神の訪れ(顧み)の時を弁えていなかった」からでした。今日の私たちの内にも、当時の民と同様、深い霊的眠りを貪り、共同体を 「祈りの家」にすることができず、代わりに不平や争いの場にしてしまっている現実があります。
イエス様がエルサレム神殿をご覧になって 「泣いた」のも、境内で両替商の机を蹴散らしたのも、民が「神の訪れ(顧み)の時を弁えていなかった」からでした。今日の私たちの内にも、当時の民と同様、深い霊的眠りを貪り、共同体を 「祈りの家」にすることができず、代わりに不平や争いの場にしてしまっている現実があります。



