このページでは、これまでの礼拝説教を動画でご覧頂けます。
(早天礼拝は、日本基督教団「日毎の糧」に沿っています)
「新しい人」を着ましたか
2024年5月19日
聖霊降臨祭
エフェソ4:16-25
説教者:坂本兵部牧師

「古い人を脱ぎ捨て、新しい人を着る」とは、私たちがイエス・キリストを信じた時に、実は既に起きた出来事です。そんな私たちが、信仰生活の中で行き詰まりを覚える時、「高い所から着せられる新しい人格を纏いなさい」という主の召しは、繰り返し私たちに臨みます。ペンテコステは歴史の中で一度きりの御業でしたが、聖霊に満たされよという命令は聖書で強調されているように、私たちが既に着せられた“栄光の衣”は、それを日ごとに輝かせる責任が私たちに任されています。私たちが問題の大きさに圧倒されて疲れたり、自分の足りなさを痛感したりする時こそ、主は私たちに“栄光の衣”を着せたことを後悔なさらず、その価値を寧ろ増し加えようとしておられます。
その苦痛、そのストレスは、呪いなのか
2024年5月12日
母の日礼拝
エフェソ4:11-16
説教者:坂本兵部牧師

私たちが人生の中で「教会」と接点を持ったということは、「傷んだ葦」のような悲惨で未熟な状態から、「成熟した人」に成長するように召された、ということです。「未熟さ」とは、神様との断絶の影響を色濃く受けていることで、症状としては①不平不満②責任転嫁③礼拝の感動が薄れて他のところに慰めを求めること、などが挙げられます。しかしそのような葛藤の中にいる私たちを、神様は御子の十字架の模範に倣うよう、召し続けておられます。特に、何か不当な苦しみを強いられる時こそ、実はその召しが強く臨んでいるのです。その召しに応えて、主と共にその苦痛を通過するなら、それは呪いではなく、私たちに向かう美しい御心が成るための祝福に変わるのです。
「内なる人」が強められるとは
2024年4月28日
主日礼拝
エフェソ3:14-21
説教者:坂本兵部牧師

「内なる人」とは、主イエスを信じた時に新しく生まれた“霊的人格”です。これが「強められる」とは、剛毅な気質で何かを成し遂げるという意味ではなく、どんな状況でも神様の愛から離れなくなる、という意味です。「内なる人」が弱いままだと、ストレスを受けるたびに自己憐憫に陥ったり、他人や自分を責めたりして、実を結べません。主はそんな私たちを、ご自身の愛に年々深く「根ざされる」ように導きます。とりわけ、事が思い通りに進まない状況で、十字架のもとに謙遜にひれ伏して礼拝を捧げ、その恵みに圧倒される過程を通して、「内なる人」は成長します。主がその人に備えておられる「願いや思いを遥かに超える」偉大な御心は、その上に実を結ぶのです。
我が人生最大の問題は
2024年4月14日
主日礼拝
エフェソ2:11-22
説教者:坂本兵部牧師

神の国と縁遠く生きていた私たちが「キリストの血によって近い者とされた」(13節)ことを、クリスチャンは信じています。しかし、私たちの内面に構築されていた「敵意という隔ての壁」(14節)は、いっぺんに全て消えさるのではありません。日々の諸問題を通して、その存在は露呈し、そのたびに私たちは、十字架の恵みを信仰で告白する“悔い改め”へと招かれているのです。けれども真の大問題は、私たちが内面の「隔ての壁」のゆえに、神様の素晴らしさをありのままに見ることができておらず、それゆえその招きに背を向けて、大事な時に神様と距離を置く選択をすること、その結果霊的に一致すべき人とも親密になれずに、「隔ての壁」を増長させていることです。
メタモルフォーゼ
2024年4月7日
創立15周年感謝礼拝
ローマ12:1-2
説教者:山口陽一牧師(東京基督教大学学長)
復活、その鮮明な希望
2024年3月31日
復活祭
ローマ4:25-5:5
説教者:坂本兵部牧師

「主イエスは私たちが義とされるために復活された」とは、使徒たちが一貫して証言した福音の根幹です。それは、私たちを日々苛む「罪と死の権勢」を主イエスが打ち砕き、天と地を繋げて下さった、ということです。この福音を味わい知った人は、世が与える恐れに打ち勝ち、神との平和を楽しむようになります。さらに、苦難の中でも主を喜び、置かれた状況で忍耐を働かせるようになります。そして、その上に与えられる練られた品性が、「主イエスを復活させた神は、私をも復活させ、愛する者たちと共に御前に立たせて下さる」という希望を、鮮明に見るのです。この希望が不鮮明であるがゆえに、倒れがちな私たちを、復活の主は栄光のゴールへと召して下さっています。
教会(キリストの身体)とは何か?
2024年3月17日
主日礼拝
エフェソ1:15-23
説教者:
特別に愛されているあなたよ
2024年2月25日
主日礼拝
ダニエル9:1-3、10:10-12
説教者:坂本兵部牧師
神の子にとって、勝利とは
2024年2月4日
主日礼拝
ダニエル6章
説教者:坂本兵部牧師

ダニエルは、メディア・ペルシアに政権が変わった時も、総理大臣として登用されました。それは彼が「聖霊に導かれる神の子」としての本領を発揮していたからこその奇跡でしたが、世はそんな彼を放置せず、卑怯な陰謀に陥れます。悪しき者は今日も、神の子たちの祈りと信仰告白の無力化を狙っているのです。ダニエルはその霊的攻撃の本質を見抜いていたので、敢えて逃げも隠れもせず、普段通りにエルサレムに向かって堂々と、感謝と祈りを捧げました。私たちも同様の試みを受ける時、「これは天の父が我が人生により深く関与してくれる時だ」と信じるなら、主は責任をもって、ご自身の勝利を纏わせて下さいます。それは、世が追求する勝利とは本質的に異なるのです。
神の子たちが現れるのを、世は待望している
2024年1月28日
主日礼拝
ダニエル5章
説教者:坂本兵部牧師

BC539年、バビロンが滅亡するその夜に、ベルシャツァル王が傲慢な宴会を催していたというのは、いつか必ず訪れる「終わりの日」を準備できていない世の姿を表しています。その場に不意に現れた不吉なしるしを見て、王も人々も恐怖に震えますが、呼び出されて主からの答えを証しして皆を感動させたのは、世から23年も無視されていたダニエルでした。その数時間後にバビロンは呆気なく滅んで政権は変わりましたが、ダニエルはペルシア王クロスにも感化を与え、神の国の栄光のために用いられ続けます。今日も、世は滅びに向かう虚しさの中で、真の答えを求めて呻きつつ、「聖霊に導かれる神の子」たちがその本領を発揮してくれるのを待望しているのです。