年別アーカイブ:2020年
隣人に、具体的に聖誕の恵みが届くように
2020年12月22日
早天礼拝
イザヤ58:6-12
説教者:坂本兵部牧師

イザヤの時代にも、礼拝は捧げられ、断食すらも盛んに行われていました。けれども、そのような宗教的な熱心な行いは、私たちが祈りの応えを頂く根拠にはならず、寧ろ神様の心を痛めている、と言われます。私たちのために受肉された御子の恵みを深く受け止めるなら、私たちの思いと歩みは、自ずと、私たちの周囲の隣人たち(助けを必要としている人々)に向かいます。低められた場所や人々にこそ向かっている主の思いと、私たちもひとつとされ、導かれるクリスマスとなりますように。
神様は私の内に“謙遜”をご覧になりたい
2020年12月21日
早天礼拝
イザヤ57:14-21
説教者:坂本兵部牧師

どこから手をつけて良いか分からぬほどの混乱や傷を抱えている私たちに、平安を回復させたい———そのような神様の御心の中に、深く入る鍵は“謙遜”です。私たちは世を歩む時、身近な人間関係で“もどかしさ”を常に経験しますが、それは自分自身が、“高ぶり”を持病の如くに抱えているためです。そんな私の救いのために、“謙遜”の限りを尽くされた神様を、信仰の目でしっかりと見る時にこそ、 「我らに罪を犯す者を我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ」と祈りつつ主に従うことができます。
その名は、Wonderful counselor
2020年12月20日
クリスマス礼拝
イザヤ9:5
説教者:坂本兵部牧師

BC700年頃、アッシリアからの侵略に怯え、希望を見出せないで苦しんでいたユダの民に向かって、預言者イザヤは 「主の驚くべき顧みの中にあなた方はいる」と叫びました。神様の顧みとは、人間の想像や理解を超えて臨むもので、実にその独り子を、我らのために人間の嬰児として生まれさせるという奥義を通して実現します。“Wonderful Counselor ”と呼ばれるこの方は、苦しみの多い私たちの人生に触れて下さる時、悪魔の働きを打ち壊す“謀略”を持った上で、その栄光ある勝利へと招いて下さる方です。
主の思いはいつでも私の思いより高い
2020年12月19日
早天礼拝
イザヤ55:6-13
説教者:坂本兵部牧師

「悪人はその道を離れ、不義なる者はその考えを捨てよ」(6節)とイザヤは語りました。私たちは普段、信仰者であっても、自分をそこまでの悪人とは思わずに暮らしている傾向があります。しかし、それこそが正に、身近な人々との関係で躓き、感謝や喜びが消える原因なのです。 「主の思いは、あなたたちの思いより、天が地を超えて高いほど高い」(9節)という御言葉を、謙遜に認めてひれ伏すところに、全てをプラスに変える神様の御業は臨みます。
“問題解決”のために祈るのではなく
2020年12月19日
早天礼拝
イザヤ55:1-6
説教者:坂本兵部牧師

BC600年代前半、南ユダの民は、年々亡国の悲劇が近づいていると感じつつ、恐れや不安や無力感の中で祈っていたと思われます。そんな彼らに対して 「渇ける者、我に来たれ」と、主はイザヤを通して語られました。つまり、あなたたちは自分がどんなに偉大な恵みの約束の上に置かれているかを知りなさい。そうすれば、異邦人のように“問題解決”のために頑張って祈っては疲れる歩みではなく、神の国とその義に飢え渇いて、無償で満たされ続け、周囲の国々に祝福を流す存在になる、と言われるのです。
アハブをも悔い改めに導く主の熱心
2020年12月17日
早天礼拝
列王記上21:17-29
説教者:坂本兵部牧師

義人ナボトを謀殺したのは悪女イゼベルでしたが、神様は、その事態を招来した家長アハブに対して責任を問います。アハブは最初、厳しい御言葉を伝える預言者を敵呼ばわりしますが、やがて粗布を纏って断食し、一応悔い改めます。その悔い改めは、我々が見ると皮相的ですが、神様はそれでもそれを受け取られ、アハブの代では裁きの御手を緩めると言われました。悔い改めとは、主の愛に復帰して罪の影響力を断ち切ることですが、その深浅において個人差があります。アハブの悔い改めがもっと深ければ、その子孫たちにも、救いに至る恵みが流れたことでしょう。
この“わけあり”の家系に
2020年12月17日
水曜賛美祈祷会
マタイ1:1-17
説教者:坂本兵部牧師

マタイ福音書冒頭の系図は、イエス・キリストが人間として負われたDNAを表現しています。その中には、堂々と書くのは憚られるような“わけあり”の人々の名前が、不思議なことに何人も記されています。私たち一人ひとりも、先祖たちの“わけあり”のDNAを負っているがゆえに、運命のような苦しみに呪縛されて生きています。しかし、その痛みと恥の真っ只中に、聖霊によって神の御子が宿って下さり、運命を超克する“神様の御業”を成して下さる。それが、クリスマスの福音です。
ナボトのぶどう畑を欲しがった王
2020年12月16日
早天礼拝
列王上21:1-16
説教者:坂本兵部牧師

北イスラエルの堕落した王アハブは、それでも神様に憐れみを受けて再三の危機を克服しましたが、預言者のメッセージに従わず、罪と妥協しては不貞腐れる歩みを繰り返していました。王宮の前にあったナボトのぶどう畑を彼が欲しがったのは、そんな自分の虚しい心を満たそうとする“貪欲=偶像崇拝”でした。私たちは、御子イエス・キリストと共に御国の全ての祝福を注いで下さる主を、畏れつつ信頼する時こそ、その罪に勝ち、ナボトの如くに聖なる境界線を守ることができます。
私たちの土台を試す溶鉱炉
2020年12月15日
早天礼拝
マラキ3:19-24
説教者:坂本兵部牧師

主の御国が地に臨む終わりの日には、私たちの罪を燃やし尽くす溶鉱炉のような裁きが実現すると、旧約最後の預言者マラキは語りました。その裁きで滅びてしまうことがないように、「父の心を子に、子の心を父に」向けさせる御言葉は、既に私たちにも与えられています。その御言葉に謙遜に導かれるなら、私たちを試す溶鉱炉は寧ろ癒しとなり、私たちは牛舎から解放される子牛たちのように、自由を満喫してできるのです。
主の心を疲れさせてしまう祭司たちを…
2020年12月14日
早天礼拝
マラキ2:17-3:5
説教者:坂本兵部牧師

神殿を再建した後、期待していた祝福が実現せずに、霊的沈滞期を迎えていた民に対して、預言者マラキは 「あなたたちの呟きが神様を疲れさせている」と語りました。罪の結果としての悲惨な状態から、私たちを回復させるべく真剣に戦っておられる 「万軍の主」に対して、それが自分の納得いくやり方でないからという理由で文句を言うのが、罪の本質なのです。しかし、そのような堕落した状態にある祭司たち(つまり今日のクリスチャンたち)を、何としてでも清める!と、神様は今日も語っておられます。