年別アーカイブ:2022年
心から赦さないと自分も赦されない?
2022年9月21日
朝の礼拝
マタイ18:21-35
説教者:坂本兵部牧師

自分にダメージを与えた人々を“赦す”のが難しいことは、信仰者にも頻繁にあります。しかしそれは、「私のために十字架の呪いを被られた神の御子」の福音を、私自身がどのくらい深く受け止めているかを試す、試金石のような出来事なのです。加害者当人が罪を自覚しておらず、私との和解を願ってもいないケースも少なくありませんが、「少なくともあなた自身は、心に苦々しさを育んではならない。そうでないと世に勝つ天国人として生きられない」と、主は愛をもって語られます。
“教会”には失われた者を回復する権勢がある
2022年9月20日
朝の礼拝
マタイ18:10-20
説教者:坂本兵部牧師

私たちは自分の仕事や学業の“到達度”が何より気になり、そのために祈る傾向もありますが、神の国の王は、私たちが 「失われそうな小さき者一人」とどのような関係を持って歩んでいるかに、最大の関心をお持ちです。私もまたそのような小さき者です、という告白によって 「二人三人が集う」共同体には、別の小さい者一人を、恵みと真理の中で回復させる権勢があるのです。
「小さき者」を受け容れる祝福
2022年9月20日
朝の礼拝
マタイ18:1-9
説教者:坂本兵部牧師

「変貌の山」の麓には、弱い者が悪霊に苦しめられていたり、それを癒すべき弟子たちが無能だったり、私たちの今日の状況と変わらない悲惨な現実がひろがっていました。 その只中で語られた主イエスの御言葉は、とても厳しく聞こえますが、私たちが自分の不信仰をお認めしつつ、主に受け入れられる信仰に生まれ変わるための、“ヒント”のような恵みが込められているのです。
ヘブロンの山地
2022年9月19日
主日礼拝
ヨシュア14:6-15
説教者:金煥牧師(南アフリカ共和国宣教師)
私たちに辛子種一粒ほどの信仰があるなら
2022年9月17日
朝の礼拝
マタイ17:14-20
説教者:坂本兵部牧師

「変貌の山」の麓には、弱い者が悪霊に苦しめられていたり、それを癒すべき弟子たちが無能だったり、私たちの今日の状況と変わらない悲惨な現実がひろがっていました。 その只中で語られた主イエスの御言葉は、とても厳しく聞こえますが、私たちが自分の不信仰をお認めしつつ、主に受け入れられる信仰に生まれ変わるための、“ヒント”のような恵みが込められているのです。
十字架の先には報いがあることを信じよ
2022年9月17日
朝の礼拝
マタイ17:1-13
説教者:坂本兵部牧師

ペテロたち三人の弟子だけが見ることを許された 「変貌の山」の出来事は、イエス様をメシヤと告白しつつ「自分の十字架を負って従う」者たちに約束された“報い”を教えています。弱く未熟な彼らが、言語に絶するその体験を語ってくれているのは、私たちにもそのような栄光を纏わせることを決めておられる天の父が、その愛を伝えて下さっているということなのです。
教会は、弱いが、陰府の権勢に勝つ
2022年9月15日
朝の礼拝
マタイ16:13-28
説教者:坂本兵部牧師

ペテロは重要な信仰告白をした直後に、主イエスから酷く叱られてしまいます。そのくらい未熟で弱いペテロや、それ以外の弟子たちが、どれほど敵に苦しめられ、多くの失敗や躓きを繰り返すかを、百も承知の上で、「君たちに授けられたその信仰告白の上に、私は我が教会を建てる」と、宣言なさったということです。そして、そのような御心が地上に成るために、小さな自分の十字架を負って主に従う一人ひとりを通して、主は今日も、驚くべきことをなさるのです。
「ヨナのしるし」だけで充分です!
2022年9月14日
朝の礼拝
マタイ16:1-12
説教者:坂本兵部牧師

「私を納得させて、満足させるしるし(sign)を見せて!」と、無意識の裡にでも求めるのは、神様との本来の祝福された関係から逸脱している態度です。ファリサイ派やサドカイ派の人々から溢れ出ていたそのような霊的影響を、あなたたちは決して受けてはならないと、主イエスは言われましたが、弟子たちは見当違いなことを議論していました。主イエス・キリストお一人のゆえに、私には足りないものはありません、という告白で勝利するのが、私たちの真骨頂であり、それを輝かせるように、主は私たちを試して下さっているのです。
神の国は“行き詰まり”の只中に来る
2022年9月13日
朝の礼拝
マタイ15:29-39
説教者:坂本兵部牧師

主イエスのもとに押し寄せた群衆は、それぞれの人生の痛みの中で癒しを受け取りましたが、気づくと長い時間が経過して、新しい問題に逢着していました。それを何とかしたいと弟子たちに仰る主イエスは、その“行き詰まり”の只中に、どのようにご自身の御国が臨むかを教え、 「王のような祭司」として彼らが育つべく、訓練しておられたのです。
不毛の地であなたを見出して
2022年9月11日
主日礼拝
出エジプト19:1-7
説教者:坂本兵部牧師

モーセと共にシナイ山の麓に宿営したイスラエルの民は、自分なりの信仰でそこまで辿り着いたと感じていたかも知れません。しかし実際は、彼らを 「祭司の王国とする」という神様の熱心が、彼らをそこまで運んできて、聖なる契約の締結へと導いておられるのでした。今日、鷲が自分の雛を鍛えるような取り扱いを神様に受けている私たちにも、同じ熱心が注がれているのです。